2020/06/08

⑴花井由加が生まれた時のこと

 

スポンサーリンク


この記事を書いている人 - WRITER -
こんにちは。 女性自立支援コーチング協会認定コーチ 花井由加です。私のブログに訪問いただきありがとうございます。 このブログでは、コーチングや心理学のメンタル的なこと、起業についての情報・プライベートのこともシェアします。どうぞよろしくお願いします。
詳しいプロフィールはこちら

初めまして
花井由加と申します。

ブログを見つけてくださりありがとうございます。

ここでは

花井由加の人生のストーリーとして
生まれてから幼少期、大人になるまでのストーリーを話していきます。

長いので何回かに分けてお伝えしますので
お時間ある時に順に読んでくださると嬉しいです。

 

私は、1971年大阪府東大阪市生まれです。

ロケットのネジなどが作られている、町工場が多い下町に生まれました。

実際に私の近所も小さなプレハブ小屋のような町工場が、たくさんありました。
ここは中国かな?と思うくらい、自転車が多いところです。

私の父も町工場で働いてました。

父は倒産を2回経験していて

「コマーシャルやるような大きな会社で働きたい」

と、よく言ってたのを覚えています。

 

父は、中卒で学がなく、四国からの集団就職で上京しました。

当時は学歴があれば大きな会社に入れると思っていたようです。

父は、分数の分母の通分が出来ないんですよ。

私が小学校で勉強してわかるようになってから、一度説明したことがあるのですが
よく理解出来なかったようです。

 

母とは同じ会社で出会ったそうで、社内恋愛で結婚したそうです。
母は出産のギリギリまで働いていたことを、昔、自慢げに話してました。

 

写真でもわかるように、生まれた時に住んでいたところは
風呂なしの文化住宅
私には記憶がないですが、狭くて暗かったそうです。

当時、両親はお家を買うために、二人とも一生懸命に働いていた.

私の人生の始まりです。

次に私が住んだのは、長屋ぽい1戸建です。
隣との隙間が人一人通れるかな?ぐらいで
住宅が密集して建てられたところ。

 

1階は狭い台所と、6畳
2階は6畳二間だったと記憶しています。

日当たりは悪く、昼間でも電気つけてました。

母は頭金なしで、ローン審査が通らないから、私の収入も合算したと話してました。

当時の家の前での写真です。すごい昭和感ですね。

私が生まれた頃は、第2次ベビーブーム、子供があちこちにたくさんいて
小学校も中学校も子供の数がいっぱいで溢れていました。

みんな生活を良くしようと必死で働いてた時代

男は働き、女は家で子育てする、それが当たり前の時代でした。

ご近所付き合いは盛んだったようです。
居酒屋さんも当時は少なかったでしょうし
誰かの家で持ち寄りで、しばしば飲み会をしていたのを覚えています。

昭和の古き良き時代です。

ご近所さんは、個性的な面々でした。

・やたら子供が多い、前歯のないお母さん
・お父さんのことを「おとうブタ」と呼ぶ、超絶わがままな一人っ子娘
・お家にピアノがあって(当時ピアノ=お金持ち)英語とか習い事いっぱいしてるけど
 何一つ上手にできない女の子

・お母さんもシュッとしてて(関西ではかっこいいいことをシュッとしていると言います)
その娘も優秀で人気者だった、しっかり家族

・やたら喧嘩の強いハーフのような女の子

すぐ近くには小さなパン商店とたこ焼き屋、もちろんお好み焼き屋もありました。
あと、昼間は喫茶店、夜はスナックになる、スナック喫茶

そんな環境の中、私はそこで小学校四年生まで過ごします。

➡︎2話に続く・・

この記事を書いている人 - WRITER -
こんにちは。 女性自立支援コーチング協会認定コーチ 花井由加です。私のブログに訪問いただきありがとうございます。 このブログでは、コーチングや心理学のメンタル的なこと、起業についての情報・プライベートのこともシェアします。どうぞよろしくお願いします。
詳しいプロフィールはこちら
 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Copyright© ライフコーチ 花井由加 , 2019 All Rights Reserved.